この正月休みほど、書きたくて仕方がない気持ちになったことは、今までありませんでした。先日、久しぶりに会った知人が、「家にいても退屈してしまう」と言っていましたが、私は反対に、とにかく我が家の書斎にひきこもり、テキストを書いていたいのです。書くことにより、ほんとうの住まいを探求したいのです。
賢治先生の家は、ひとを招く住まい。暖かさを感じながらも、何ともモダンな住まいです(2019.01.15)
ひとつの記事を書くのに、下書きがあっても2時間では足りず、
3時間かけても、記事が書き上がらないことがよくありますが、
まずは記事を、公開(Publish)することを優先しています。
記事の数は1年半をかけて、ようやく「500」を越しました。
書籍の出版と異なるのは、いつでも過去の記事を加筆修正でき、
古い記事でも、「生きている」状態を保てることです。
ひとつひとつの住まいで、ひとつひとつの物語に出会い、
私は家族さんたちから、たくさんのことを学んできました。
ときに設計の話から外れて、家族のありかたとはなんだろう、
自分の人生を、どうやって整理していくかなど、
奥の深いお話しを、聞かせていただくことも多くありました。
そういった話を、私の心の中にしまっておくだけでなく、
多くのひとに伝えたいという気持ちから、スタートしました。
『永久の未完成これ完成である』
「農民芸術概論綱要」の中のある、賢治晩年の心情、
賢治の文学と生き方が、象徴されているフレーズです。
『ほんとうのさいわい』を追求し続けた賢治、
けれども、『ほんとうのさいわい』そのものではなく、
『ほんとうのさいわい』が何なのかを、
問い続ける姿勢こそが大切であるのだと、
私は、この言葉を受け止めています。
賢治に限らず、私たちはみな、自分の人生を、
「途中で終えてしまう」運命を持っています。
私の場合、毎年毎年、一棟一棟の建物は完成していっても、
バリアフリーの先にある、ほんとうの住まいの探求は、
おそらく、道半ばで終わってしまいそうです。
『永久の未完成これ完成である』、賢治のこの言葉で、
それでもいいのだと、思える様になりました。
大切なことは、ほんとうの住まいの探求を、
続けていく姿勢、その姿勢そのものなのだと、思うのです。
たとえどこかに到達したなかったとしても、
そのプロセスの一瞬一瞬が完全であり、
完成されたものであると考えることもできます。
「なしつつある」ことがすべて、
そのまま「なした」ことになる動き、
これがアリストテレスのいう「エネルゲイア」です。
岸見一郎『老いる勇気 – これからの人生をどう生きるか』PHP研究所 2018
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