大瀧bFaaaPブログ

自分の考える『正しさ』だけに固執しないこと〈9729〉

自分とは違う意見に対して「それは間違っている!」と、自分の『正しさ』を主張するような文章を書くことは、とても容易であり快感を伴うものです。そんな他者を批判するような内容の、書きかけていた下書きを、いくつも削除しました。そのような記事を書くために雀よりも早く、毎朝4時に起きている訳ではないと、気が付いたのです。

自分の考える『正しさ』だけに固執しないこと

埼玉県には石仏が多く、私は見かけると立ち止まり、心の中だけでも手を合わせます。江戸時代中期(1745年)の庚申塔です。人間の中にひそむとされていた「虫」が、寝ている間に体から抜け出し、罪悪を天に報告しないよう、庚申の日の夜は徹夜で過ごしたそうです(2018.03.18)


『正しさ』を追求しないこと

正しさという言葉を、他者を批判するための「免罪符」にしてはいないか。

自分の『正しさ』と、他者の『正しさ』は違うこともあるのだと思います。

なので、自分の考える『正しさ』だけに固執せず、周りの人の意見や、

違う意見をとり入れて、調和することが大切だと考えるようになりました。

『正しさ』を追求しないこと

以前、「 『正義』と反対の意味を持つ言葉」という記事を書きました。

『正しさ』とは、反対の意味を持っている『愛』について、

オオタキラジオでは、今までも、これからも、書いていきたいのです。

その「愛」を、私の仕事の中から見つけてみると、

住まいてさんに対して、職人たちに対して、先人たちに対して、

敷地に対して、天候に対して、道具に対して、

木、鉄、コンクリートなどの素材に対しても… 。

『正しさ』を追求しないこと

今日の日曜日は、3組の住まいてさんと、打ち合わせする予定があります。

そんな場面では、私も同業他社を批判してしまうことがありそうですが、

できるだけ今日は、そんなマイナスの言葉を、口にしないよう心がけます。

住まいてさんたちにとって、マイナスの言葉は何の役にも立ちません。

そして何よりも、マイナスの言葉を、一番近くで聞くことになるのは、

誰でもなく、自分自身だからです。

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